「あなたへの手紙のように」
今日もあなたへの手紙のように、つらつらと書き連ねてみようと思います。
最近私、いくつかの珈琲を本當においしいと思って飲むようになりました。ミルクを入れてじゃないですよ、ブラックでです。
これがおいしいんだろうなぁと思ってわかりたくて飲むことと、これはおいしいと思って素直に喜びながら飲む事は全然違っていて。わかってない時期の私に「無理することはない」と周りは言ってくれていたけれど。
わかりたい時期、まだ好きとは言えない時期、それは無理していると言うよりも、きっとね、待っている時期なんです。いつ來るのかわからない、でも來るんだろうなってどこかでわかっていて、だからそこには立っていたいんです。そこから去ってしまいたくないんです。受け取れるって、なぜでしょうね、まだ知らないのに確信してるんです。
子供の頃はあんなに苦い苦いと眉間にしわを寄せていたのに、どうしてこんな風に変化したのか。
違う。
子供の頃、と思い浮かべるよりもっと子供の頃、私、苦さという新しい刺激に興味を持った時期があった。そうだった。
ロングロングタイムアゴー。その頃の私はなぜかコーヒーゼリーを好んで頼んでいたのでした。小さすぎて、飲み物にコーヒーなんてまだ出されることもなかった頃、なんのきっかけでか忘れたけれど作ってもらったコーヒーゼリーは美味しくて。欲しがるからゼリーは解禁されて。苦い。苦いけど、頼みたい。頼んでた。
それからいつのまにか食べなくなって。一時期コーヒーそのものが苦手な時期に入っていったけれど。その頃にはもうどこかにそうしたものを楽しむ種は芽吹いていたのかもしれません。むしろなんで一度眠っていたのかしらん。
まぁ大人として本物を楽しむまでには少し時間がかかってしまいましたが、今はおちゃも好きなまま、好きなものがまた一つ増えて、お果子とのあたらしい組み合わせの扉をパタパタ開いているところです。
posted by 深森らえる at 23:37|
Comment(0)
|
日常
|

|