2018年06月30日

夏越の祓

今日は新暦夏越の祓。
半年無事に過ごせまして。

通常運転もぐもぐ。
行事ごとのお菓子もまた嬉し。

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実は先日、少しだけ怖いアート作品を見てきました。


「くりかえしみるゆめ」という、現実と非現実の狭間に踏み込むような作品。ゲストはアーティストさんが作った家というか部屋の中を探索するのだけど、悪夢にさしかかるような気味の悪さがずっとつきまとう、そんな作品。


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でもね、それを見ているうちに。
その場所に感じてしまう、そこにいるかもしれない気配のようなものーおそらくは人ーを感じているうちに。

私自身はだんだん、自分視点で彼らの物語を追い始めちゃって。
なんでこうなっちゃったのかなあ。
誰も悪夢の登場人物のような存在になりたくなぞなかったよねぇ…って。

こんなになるまでなにがあったのか。
思いがけない悲しみや怒りや理不尽を思い浮かべて。

消化できなかったもの。
残るべきでないのに残ってしまうもの。

透明になれなかった、澱。


……しんどい……



とね、ちょうど今、祓を意識するタイミングで。

祓をすること。
そう、祓をすることは。

たとえば夏越の祓をするとき、人型を川に流して、汚れを落として行くのだけど。

その祓をするときに、その祓うべきものを思い浮かべられるのだなあと。

自分が祓いたいもの。半年間の間にあったそうしたものを思うことで、自分の中に沈ませない。形にして、外に出して、そしてゆだねる。

自分から離してゆくものとして見つめる時、それは外に出されなければいけないから。

現れるけれど。
見るのはとても怖いのだけれど。

現れることは恐れない。
そして、怖くても祈ってあげる。

祓うことは、ゆだねることかもしれない。
自分では負いきれないものをごめんねと。


おいしい、うつくしい、すがすがしい。
祓のなかやあと、そうした気持ちもいただくけれど。

少しの時間。その前に。
現れてくれたものたちを。
悼んだり、抱きしめ終えたり、
あとはさよならしたりとかね。

そしてその先を祈って手を振る。


できる時できない時あっても。
毎年巡るから、少しずつ少しずつ。
できる分だけ、できるところだけ。

祓ってゆけたらなどと、思うのよ。


自分がいろんなこと終えた時。
出来るだけ透明になれるといいなあ。

あの作品に出てきたような気配になるのではなく

こう残るとしてもーお菓子みたいにーふわほわ
せめてあったかい気配となるように、そうじゃないものをはらっておいて。


そしてあー楽しかった、と、それも反芻し終えた後に透明になれたら良いなあなどと。

そんなことを、思ったのでした。
posted by 深森らえる at 06:53| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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