2011年01月08日

はなしを、はなせる?

話の素敵はいくつかあって。

楽しくなるもの。
安心するもの。優しくなるもの。心強くなるもの。


話の素敵の一つ。
「話し」は心配や不安を「離す」ことに繋がる。

この話は、最後には話がいらなくなる。
それは最終的にそのことに関して言葉がいらなくなるから。

じゃあ言葉を尽くせばいいかっていうと。
これが難しい。


言葉は、矢印だから。

話っていうのは言葉を交わすことが話ではなくて、
心を交えるためのツールに言葉がつかわれるだけで、
言葉は行動や想いを補完するための矢印みたいなもの。

そして、その矢印を立てた人が、
矢印の先をわかっているとは限らないから。
その矢印を見た人が
同じものをみているとは限らないから。

言葉のできることって、そんなに正確じゃない。

使い手がどんなに正確に使ったと主張しようと
読み手がどんなに正確に読んだと主張しようと

だって言葉は、「人の間」のものなんだから。
君が言葉を使いたい、理解したい、「相手は誰」なの?



うん、相手を深く理解しない間柄では、言葉は表層言葉でいい。
これは悪い意味じゃなくて、社会の中で、一定の基準をもって使う時。
「前を見ろ」と言われたときに、「前を見る」のはスムーズな関係。


でもね。

一体一、仲間内、特別な関係。
関係を深めたいならば。言葉を言葉通りで使うほうがむしろ難しい。
「前を見ろ」と言われたときに前を見て→「で、何?」じゃなくて。

「ああ、前向きに未来を見てガンバろう」
「あっ、前に猫がいた、可愛いなあ」
「あれ? 服の前側にケーキこぼしてた。ふかなきゃ」

と、「で、何?」のいらないような
テレパシーの補助輪くらいな感じのものとして扱うつもりで。
深度が深くなるほど、むしろ普通の言葉は届かないとおもったほうがいい。


矢印の先はどう見ても池なのに
「この先は山です」って書いているのは意地悪じゃなくて、
わかってないだけかもしれないからやりすごしたりとかもだいじ。

矢印の先の道を見る人もいれば、その先の崖を見る人もいれば
そのまた先の空を見る人もいれば、星を見る人までいるかもしれないから。
見てくれないことも予想しながら進まなきゃ。


相手は何を見せたかったの?
相手は何を見ているの?

相手とあなたの距離感、言葉のピント、想いのピントは、合ってますか?

それを「言葉での確認」じゃ堂々巡りでだめだ。
言葉で輪郭をつかんだら、その中に手を伸ばして。
その人を理解することのほうがよっぽど先で。
言葉で終わらないで先に進むために、手をつなごう。


つまりは。
一緒に、行こう。



いっぺんには無理だけど、
   徐々に徐々に、世間とは違う、
「関係性ルール」を作れたらいいと思うんだ。


そんな、「君と僕、の、言葉」のお話。


このお話の矢印はたぶん、君と仲良くなりたいってこと。
posted by 深森らえる at 14:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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