このひとだから、いいよというのは。
実はそれぞれの関係性のなかにあって。
だれであっても、いやだというのも。
それぞれのなかにしっかり存在していて。
あまえられるのはすてきだけど
がまんをそんざいさせたいのではなく
あまえられるかんけいせいになるか
ふかをかけないきょりまではなれるか
価値観とかデリカシーとか
まずはさぐりさぐりで
個性があるから
全員同じにはいかないし
好きや苦手もあるから
努力でカバーできないこともある
火はあったかい、手をかざす、でも触れない
水は潤う、綺麗なものは飲む、でも溺れない
そよ風は気持ちいい、身をさらけ出していい
わたしにはそれがここちいいありかた。
でも、魚は、水にずっとまるごと身を浸せる。
人がそれを真似ようとしてもできないけれど。
だれかのなかの特質は、だれかにとってだけ必要で
大多数のまわりが理解できなくてもなりたつこともある。
わたしのなかの特質は 誰かにとって特別で
誰かの中の特質は わたしにとって特別で
世界が理解できなくても、
わたしにはそれが大丈夫で、
向こうが大丈夫もあるかもしれない
でもそれは奇跡のようなものだから、
ほとんどの場合は、そうじゃないよって
普段はなるべく「普通」の所から
いやなことていねいにとりのぞいて。
いやなことていねいにとりのぞいて。
すきなこと少しずつ増やして。
最初は下手でも確認をしながらさぐりさぐりすすむ。
特別がたくさんだと、嬉しいような気がするね。
でも特別は特別なものだから、欲しがったからもらえるものでもなくて
特別な人にできることと
普通の人にはできないこと
それはあってしまうのだけれど
だけどそれは
特別仲がよいとか、
だから親しくないとかではなくて
あなたとわたしの距離は、常に唯一で。
あなたとわたしだから、しょうがないもので。
特別にできないからって、軽んじてるわけでもないの。
ただ特別になるには、実は子どもじゃ駄目で。
努力や技術も必要で、一番のびやかな自分に戻る必要もあって。
特別なコミットをできる関係性自体が多分特別で。
それはね、自分でも育んだ所までしかできないんだ。
そしてまた、新しい特別を、作り出すことだってできるんだ。
私の中の火は、普通を燃やしてしまうかもしれない。
でも、気球のなかにしかるべき形でおかれれば
仲間を空に連れていってあげることができるかもしれない。
そしてまた、特別なものが響きあうことだってあるんだ。
誰かの中の水は、他を息苦しくさせるかもしれない。
誰かの中の水は、他を息苦しくさせるかもしれない。
でも私の中の魚はそこでこそ自由に泳ぐかもしれない。
ずうっと眠って終わるかもしれなかった魚が嬉しそうに目覚める。
それは多分奇跡のようで
出会えた互いの成熟の中で恵まれることで
おとなになればなるほど、たぶん、可能性は、増えるんだ。
おとなになればなるほど、たぶん、可能性は、増えるんだ。
互いが幸せになれる、普通には転がってない、お互いだからの、特別。