2014年04月30日

私たちは一生かけて何かの経験は常に足りない

昔その歌に出会った時は、不思議な歌だなあって思った。
全体としてつかみどころがなかった、と言ってもいい。

けれど、あらためてその歌に再会して、今の私には意味をなした。
少なくとも私にとっては、心が動く意味をなした。

そのカギは、経験だった。
私はつい先日、多分この歌が歌っているだろう経験をしたばかりだった。
もしくはそれが勘違いだとしても、その経験はこの歌に意味を作り出した。
並べられている言葉はやっぱり、客観的にみれば不思議なままで。

そういうことはある。

いつの間にか抽象画を楽しめるようになって
子供だったら手を引っ張って「早く行こうよ」という対象だった絵の前にたたずむように。
クラシックからモダンの踊りにも魅かれるようになり
なんであんな不自然な形をと見えていたものにこもっていた強い祈りに胸を打たれるように。

対象は変わっていない。
それが自分に響くものになったのは、自分の中に響くものが形作られたからなのだ。

昔自分には響かなかった作品に、経験を積んでからあらためて再会し、
ああ、と響くことがある。


でもそれは、
昔は経験が足りなかったとかそういうことではない。

私たちは一生かけて何かの経験は常に足りない。

何が言いたいのかというと
過去の私に対して「経験が足りない」とか言うつもりはないということ。

ここにいる私はたまたまそこから数年の間に
それが響く経験に出会えたというだけだから。
もしかしたら、あと100年生きたって経験できない何かだったら、
今の私になったところでそれはわからなかったのだ。


そのうえで、わかるものが増えることは楽しい。
私の中で響くものが与えてくれる波紋は心地よく。


   わたしはちいさなはなうたをうたう
posted by 深森らえる at 12:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

環境の影響。

四月。
今年の四月は。

語学講座の神に朝2時間を捧げてみるときめていました。←とりあえず四月だけ

四月はね、すべての語学講座は「初歩講座」なわけですよ。
どんなものがあるのかをみるオリエンテーリングのように。
この一か月集中して、ちょっとやってみたかったのです。

無理な日は無理しない。
朝から外にでる仕事の日はお休みしてよし。
自分でコントロールできる予定はできるだけ朝10時以降に。

できるかぎり。それで。半月過ぎました。
穴あきながらでも、夢うつつでも、とりあえず続いてます。
(それを続いていると言っていいならですが)

これ、楽しいです。

6時45分のラジオ英会話に始まり、9時5分のロシア語講座までが基本。
その日余裕があればその残りの英語プログラム二つ。(9時半まで)
途中スペイン語だけ、フランス語の予習のために抜けますが、それ以外全部。

楽しいので、どうです、ご一緒に? 
テキストを目にしながら、ただ聞き流すだけでも、なんとなく楽しいでするよ?





……と、今日のメインは実はその話じゃなく。

その語学講座の合間のお話。

語学講座の合間。
8時台にラジオ体操、9時台にみんなの歌が入るんです。
この部分は語学講座じゃない部分なので、
この間は休憩時間ときめて、のんびりしていたわけなのですが。

だけど。
意識しなくても聞こえているわけで。

ふと気付くと、
机の前に座ってても、ついつい腕だけふっちゃったり、首の体操したり
この間に休憩……と台所からお白湯を汲んできてる途中で
ついつられて第二体操始めの音楽でジャンプしちゃったり<水こぼれた

何より深呼吸は気持ちがいいし、
これ、うん、聞き続けたら運動始める気がする……。
よく聞く歌は口ずさんじゃうし。
メロディがちょっと離れなくなったりするし。

体操も、歌も。 別に興味があったわけれはないのに。
そっと語学の合間に滑り込んできて。
こうして、二週間ですでに私に影響を与えている。
意識していなくても、自分を囲むものの影響がこうして現れる。

という経験を(わりとあからさまに)意識させられて、
四月、新年度に、あらためて環境とはとも考えさせられました。

意識していなくても、すべりこんでくる、影響。
意識していないほど、気軽に入ってくるもの。

だから時々意識して、選び直したり。
いい場を作って身をゆだねられるようにしたり。

気をつけたり、安心したり。
どちらのものか、時々意識して判断して。
自分の欲しい環境をできる範囲で整えていこう。

語学講座の、副産物。よき、四月。
posted by 深森らえる at 12:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ばか」なほど、なみはずれて、すき。

能力が 高いからこそ できるバカ。

私は、すっごくおかしくて愛おしい、
ふっきれた絶対値の高いものに
最大限の愛をこめて
「なんておばかなの!大好き!」
と、ばかという言葉を使うことがあります。

その感覚を久しぶりに思いださせてくれるものに出会い、
久しぶりに「ああもうおばか!」って笑ってしまいました。

「能力の高い二人が、真剣に戦ってるんだけど。
ユーモアのセンスもあるものだから、試合中にその能力を活かし、
ものすごいパフォーマンスをして、試合中に周りを笑わせちゃう」というものを見て。

「ちょっ、なにやってるの!?」

って
思わず笑っちゃったけど、
二人の能力の高さとユーモア。
息あわせて、にやんと実行しちゃう感じ。
真剣な時とあわせて、二重の気持ちよさ。

もうね。すき。



おばかをしたいから、
頭良くなりたい。
能力値あげたい。

思いっきり力をつけて。

おばかだなーって
心の底から笑って
すごく素敵をやらかしたい。


おばかな人に、出来事に、チャンスに会えたら
全力でおばか返しできるくらい賢くなりたいな。


ちょっと久しぶりかも。
懐かしい、この大好きな感覚。

のってみよう。



posted by 深森らえる at 12:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

たとえばこんな形で


image-20140401140528.png

箱入りのチョコレート。

いつもは一粒食べるたびに
あ、あといくつでなくなっちゃう、って
心のどこかで感じていたのだけど

箱自体がチョコのこのチョコは
食べ切っちゃっても、まだあるよ、って。

いつかは箱だってもちろんなくなるけど
一粒一粒への恋しさのあまりの喪失感ー
切なさをソフトランディングさせてくれます。

ふわっ。

突然の区切りで、
ここでおしまいって、
時々怖くて勇気がでなくて
一つ残せばまだ…って先延ばししちゃうから

たまにはこんなふうに
ゆるゆる、自分のペースで
そして自分の手で、終わりを作っていって
少しずつ形をなくすことを受け入れる
そのほうが楽な時もね、あるよね…

って、チョコの話です。


posted by 深森らえる at 14:12| Comment(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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